ネコじかけのBlog

うちの猫(シマ)とフィギュア、外猫の記録。
VOCALOID関連の話題、展示会のレポート。

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ギャラリー散策 に参加中!
特別展「磯江毅=グスタボ・イソエ」@奈良県立美術館 を見に行ってきた。

見えない人/見えにくい人との対話型美術鑑賞ツアー 「磯江毅=グスタボ・イソエ」展
 2011.12.4
 14:00-16:30
 奈良県立美術館
 奈良市登大路町10-6

 ちょっと毛色の変わったイベントに参加してきました。
 題して、「見えない人/見えにくい人との対話型美術鑑賞ツアー

 普段、私は基本的には一人でギャラリーや美術館を巡り、作品を鑑賞します。
 一人なので、静かに沈黙の中で作品を見るわけです。
 しかし、今回はそういうわけにはいきません。
 視覚障害者と健常者がグループになって、一緒に絵画鑑賞を楽しもうという企画だから。

 所定の時間に集合し、対話型美術鑑賞とはどういうものか説明をきく。
 視覚障害者一人と健常者二人以上がグループになって、作品を鑑賞。
 健常者がどんな作品かを大きさや何が描かれているか、そしてどんな印象を持ったかなどを伝える。
 視覚障害者はそこから質問を投げかける。
 そうしたやりとりで作品をより深く味わう。と言うもの。

 そして、いよいよ鑑賞タイム。
 「磯江毅=グスタボ・イソエ」展
 私はこの展示会に一度来ている。
 (■特別展「磯江毅=グスタボ・イソエ」@奈良県立美術館 へ行って来ました。(2011.10.28))
 ポスターを一目見て、絶対見に行くと即決した展示会。今回のイベントもこの展示だったから参加したと言うのもあった。

 一つの絵の鑑賞に一人で見ているよりは時間がかかり、移動などでも時間がいるので、すべての絵は鑑賞できない。良さげなものをいくつかピックアップして鑑賞することになる。
 最初はどのようにしたものかなと思っていたが、もう一人の健常者の方との会話もあり、なんとなく要領を得てきた。
 思えば、10点弱の作品を鑑賞したかな。
 人物画が半分位を占めていたが、それは作品に人物画が多かったから。

 グループで話をしながら絵を見て回るというのは面白いものだった。
 絵の説明をする中で、もう一人の健常者の方が私があまり意識していなかった所を説明されていたのを聞いて、視点が違う人の話を聞くのはためになると感じた。

 私の絵についての説明が解説じみてしまったような気がする。
 知識がある分、語ってしまうと言うか、一方通行的になってしまっているのではないかと思うことがあった。
 そういうものを求めている人もいるだろうし、そうではない人もいる。
 そういうところはお互い知っておいたほうがスムースな鑑賞につながるのだろう。

 参加して思ったのは、美術鑑賞はきっかけであって、みんなで話しながら共感するっていうのがいいのかなと。
 思えば私にとって写真展に参加するのも、人との会話や思いを共にすることを求めている。

 またこのような機会があれば参加したいと思います。

(2016.4.14追記)
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ギャラリー散策 に参加中!
特別展「磯江毅=グスタボ・イソエ」@奈良県立美術館 を見に行ってきた。

特別展「磯江毅=グスタボ・イソエ」
 2011.10.22-2011.12.18 月休
 9:00-17:00 金土は19:00まで
 奈良県立美術館
 奈良市登大路町10-6

 またすごい人を発見した。
 偶然前を通りかかったギャラリーに貼られていたポスターを見て、じっと見入ってしまった。
 目を閉じて横たわる女性。写真と見まごうばかりのリアルさ、いや、それ以上のものを見出したような気がした。

 調べてみると、作者の磯江毅氏は既に亡くなられているらしい。
 以前から日本でも展示会があったりしていたので、ただ私が知らなかっただけか。

 写実画と言うのは、写真みたいにリアルと言うのが第一印象だと思う。
 私もそうだったし、今もやっぱりそうだ。
 しかし、見ていくと写真とは違うことはわかる。
 なんだろう、うまく説明できないのだが、惹きつけられる写実画はリアルなものを越えたものがあるような気がする。

 裸体の女性の絵。
 グイグイ引き込まれる。
 まあ、女性の絵だからってことだけじゃないですよ(笑)
 引き込まれるけど、じっと見つめるのはちょっとこっ恥ずかしい。

 でも一番印象に残ったのは「子供」。
 椅子に座った子供が泣いている姿。
 泣いている顔がなんともよくて、泣き声が聞こえてきそう。

 特別展「磯江毅=グスタボ・イソエ」

 ■見えない人/見えにくい人との対話型美術鑑賞ツアー「磯江毅=グスタボ・イソエ」展@奈良県立美術館に行って来ました。

(2016.9.4追記)
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うちのネコ2 に参加中!
行ってきたで。

M.C.エッシャー展〜視覚の魔術師〜
 2010.3.20-2010.5.9 月休(3/22開館 3/23休、5/3開館 5/6休)
 9:00-17:00 9:00-19:00(金土) 入館は30分前まで
 奈良県立美術館
 奈良市登大路町10-6

 ツイッターのつぶやきで知った M.C.エッシャー展へ行ってきました。
 エッシャーといえば、ありえない図形を元にした絵や横に移動すると次々に違うものが現れる絵などが有名であるが、その作風になる前に制作していた版画なども展示されていた。

 錯覚のトリックを用いた表現、座標変換による表現、異質なものを組み合わせた表現、これらを組みわせてとても興味深い作品を展開している、これがエッシャーの醍醐味。

「立方体とマジックリボン」
 出っ張っているところが目を移していくと引っ込んでいるかのように見える錯覚を使っている。

「メタモルフォーゼ?」
 左から右に移動して行くと次々に主題が変わって行く。
 空白が主題に、そしてさらに新しい空白が主題に。
 右から左に、左から右に移動して見て、初めてその面白さがわかる。静的な絵画を動的に楽しむものである。

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「四面体の小惑星」
 四面体の表面に建物や階段がある。
 この惑星では平面がねじ曲げられている。外から見ると建物のラインが湾曲しているように見えるが、ここで住んでいる人たちはのこれが直線なのだ。

「上と下」
 一枚の絵で同じ建物を上から見たものと下からみたものを同時に見ることができる。
 この紙の中では垂直線を異なるように設定してある。

 上2つの作品は空間から違う空間への座標変換による表現を行っている。
 その表現の元になる作品は「写像球体を持つ手」だろう。
 自分が手で持っている球面に自分の姿が映っている。
 空間の球面に対する写像である。

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「静物と街路」
 1つの絵に2つの世界。
 本の並べられている机の延長が街の建物の間の通りになっている。
 あり得ない世界。シュルレアリスムとつながる。

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「24の寓意画」
 オレは、風俗画や風刺画、寓意画など、絵に意味が隠れていたりするものは好みなのだが、エッシャーに関して言えば、他のものが面白くてこの作品にはインパクトがないと感じる。

 エッシャーの作品は初め、芸術とは認められなかった。
 まず最初に注目したのは数学者や結晶学者などの理系分野である。
 確かにこの絵を見て、芸術というよりは頭の体操的なものを感じるだろう。

 ビデオを見ていると、驚いたことに、エッシャーが中学レベルの数学でも苦手とするような人だったそうだ。
 あの作品を見ていると緻密に計算されて制作されたものと思っていた。

 教科書で学ぶような数学の勉強は興味もなく、苦手だった彼ではあるが、直感で幾何学的、パターン化思考を行っていた。
 それは彼の内から沸き立つインスピレーションを表現したい欲求からであった。
 そのインスピレーションはアルハンブラ宮殿のモザイク模様に衝撃を受けた時から生まれたものだと思うが、その元は父親の影響もあったのではないか。

 数学の勉強はわからなかったのかも知れないが、平面や立体の表現に対しては卓越した感受性を持った人だったのだろう。

(2016.4.14追記)
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