ネコじかけのBlog

うちの猫(シマ)とフィギュア、外猫の記録。
VOCALOID関連の話題、展示会のレポート。

 まだまだ暑い夕方、交通量のかなり多い交差点で信号待ちをしていると、右折ラインに子猫が倒れているのを見つけた。
 交通事故にあってしまったんだなと見ていると、まだ生きているようだ。こちらの信号は赤で、車がどんどん走っている。
 車からはネコがいるのがわかっているらしく、踏まずに避けているようだ。トレーラーなどの大型車も通り、かなり不安だ。踏み潰すなよ、と思いながら、信号が変わるのを待った。

 信号が変わる前、ネコが尻尾を少し立てたのを見た。まだ生きている。

 信号が変わって、右折ラインに入ってきた軽トラを制止してその場に駆けつけた。しかしもう動いていない。だめなのだろうか。
 信号はすぐに赤になってしまうだろう。おれは子猫を両手に乗せて持ち上げた。
 まだ温かいけど、体温なのか地面の熱をもらったのかわからない。

 見たところもうだめなんだろうなと感じた。
 とりあえず、道を渡って、路面にネコを置いてみた。
 だめだ、ぴくりとも動かない。
 何か動いた、と思ったけどそれっきり。
 でも、これで本当にさっきまで生きていたってことがわかった。

 この子猫をここに置いておくわけにはいかない。おれが葬ってあげなければ。
 おれはこの子を両手に乗せて、思い当たる公園に向けて歩き出した。生暖かいものを手に感じながら、歩いていく。通りすがりの人なんて気にしてられない。

 公園にたどり着いた。どこに葬ってやろうか。
 入り口に近い道をちょっと入ったところの木の下に埋めることにした。

 近くに木の枝が落ちていたので、これで掘ることにする。
 土は表面はやわらかいが、ちょっと奥に入ると硬くなる。木の根もあるし、掘りにくい。しかし、ようやくこの子が入るくらいの穴を掘ることができた。

 この子を穴に入れて、土をかぶせた。

 助けてやれなくてゴメンな。今度生まれ変わったら、かわいがられて幸せな生活ができるネコになれよ。


 歩きながら思い返していた。

 おれはあの子猫を見たとき、どうしようか迷った。もちろんこのまま見捨てて行っても一向に構わない。救う義務もない。
 しかし、おれはあのとき、「ネコ好きならばこの子猫を助けなければならない。」と考えた。そして、近くに動物病院はないのか、どうやって探そうかと考えていた。

 同時に「生きていれば動物病院に連れて行かなければならないな。金はどれくらいかかるのだろうか。動物病院を探さないといけないな。これはかなり面倒なことになる。」とも考えていた。

 しかし、あの子ネコが尻尾を上げたのを見たとき、それまでの考えは吹っ飛んだ。「車に轢かれませんように。」「おれが行くからな。」と。


 これだけは思う。
 おれはお前が生きていたことを覚えているからな。

 (2018.1.30 当時の日記から地名など一部修正して転記。)
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外のネコ4 に参加中!
2003090401はじめてのさいちゃん。
 私の手持ちの写真で最も古いさいちゃんの写真です。
 (#深夜のネコチャン撮影60分一本勝負 9/17に投稿。(2020.9.17))
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ギャラリー散策 に参加中!
日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代
 2000.4.4-2000.7.2 月休
 9:30-17:00 入場30分前まで
 一般1500円
 大阪市立美術館
 大阪市天王寺区茶臼山町1-82

 7月2日(日)、3度目の「フェルメールとその時代」展に行った。
 この日は日曜日かつ最終日であり、混雑は容易に予想できた。
 わたしは本来、6月28日(水)に行こうと思っていたのであるが、そのときですら、行列が天王寺公園内まで延び、これはいかんと思い、断念したのである。
 しかし、わたしはその日に前売り券を購入しており、これにより、最終日に行列に並ぶことを覚悟して出かけたのである。

 早く行って、できるだけ炎天下を避けようと、家を7:45に出発し、天王寺公園入り口に8:30頃に着いた。
 すでにチケット売り場の前に長蛇の列ができていた。
 しかし、わたしには先日購入した前売り券がある。券を持っている人は、少なくともチケット購入の列に並ぶ必要はないのである。
 そのまま中へ入ったが、中にもすでに列があり、列は美術館の裏にある慶沢園から蛇行して続いている。ここのところ、連日にわたってできている列よりは短い。

 8:45頃から列に並んだ。真夏の太陽が照りつけ、暑くてたまらない。
 暑さに強いわたしでさえこれなのだから、暑いのが苦手な人はこの列を見ただけでもいやになるだろう。
 これもすべて「彼女」に会いに行くためである。
 今回の展示を見ることができるのは今日が最後なのだから。

 9:00頃から列が動きはじめる。
 開館は9:30のはずだが、時間を早めて開館したのだろうか。
 9:30頃に慶沢園から抜け、美術館の前に出て、日よけのためのテントの下にはいることができたが、まだ先は長い。
 10:00にやっと美術館に入場できた。
 しかし、中でも20分程度待たされ、やっと、絵を見ることができた。

 この美術館所蔵の屏風絵などはもちろんのこと、他の絵もさっと流した。
 じっくり見たのは、「聖プラクセディス」と、もちろん「青いターバンの少女」である。他の絵はもういい(笑)

 しかし、わたしが見たい絵には、人が一段と群がっている。「聖プラクセディス」は、プラクセディスのやさしい顔が心を和ませる。
 まさに「聖女」と言う感じである。この絵も好きな絵である。

 「青いターバンの少女」の前には一段と人が群がっており、一番前に立っている人は立ち止まることを許されず、ベルトコンベアのように順々に動いて見るほどであった。
 しかし、後ろに行くと、立ち止まってみることが可能である。
 わたしはここで、ずっと「彼女」を見つめていた。

 周りはかなりの人数でごった返していたが、わたしは「彼女」と二人きりで会話をしているような感覚におそわれた。
 その場を去ろうとすると、「彼女」がわたしを呼びとめるような気がした。
 なかなか、その場を離れられなかった。

 わたしは自分の部屋に「青いターバンの少女」の額絵を飾っており、いつも見ているはずなのだが、実物の「彼女」と目があうと、ドキッとしてしまう。
 実物のパワーは額絵の比ではない。この日もそうだった。
 私の心は「彼女」にドキッとして、「彼女」の瞳に吸い込まれて、離れない。
 いつも彼女に見つめられていたいと思う。この日、わたしは自分の目に「彼女」の姿を焼き付けた。

 売店でグッヅを見ていたが、ポストカード、アクセサリー類の一部がもう完売であった。
 売店の人が「今日は8:50から開館した」と言っていた。道理で9:00頃に列が動いたわけだ。

 「彼女」を惜しむ気持ちのまま、11:30に美術館から出た。
 その後、行列に並んだことではじめて知った、慶沢園や園内にある池を見て周った。
 緑豊かな森や鳥が羽を休めている景色を見て、絵を見た余韻を楽しんでいた。

 この日で、「フェルメールとその時代」展は幕を閉じた。
 7月3日から、検査、梱包が始まり、われわれを魅了した絵は故郷に帰っていく。

 今回の展示会には合計3回行きました。
 日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代

(2016.4.15過去の私が書いたweb記事より一部加工して転載)
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ギャラリー散策 に参加中!
20000521フェルメールとその時代@大阪市立美術館1

日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代
 2000.4.4-2000.7.2 月休
 9:30-17:00 入場30分前まで
 一般1500円
 大阪市立美術館
 大阪市天王寺区茶臼山町1-82

 友人がこちらに遊びに来てくれたので一緒に見に行きました。
 詳細が不明なので、残っている写真を掲載。

20000521フェルメールとその時代@大阪市立美術館2


 友人の一人曰く「これは美術館じゃない」と言わしめたほどの人々がこの美術館に押しかけていました。
 確かに美術館の中でも行列ができていたくらいだし。
 人が一番集まる「青いターバンの少女」に規制線もなかった。

 今回の展示会には合計3回行きました。
 日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代

(20160415記述)
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ギャラリー散策 に参加中!
20000413フェルメールとその時代@大阪市立美術館

日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代
 2000.4.4-2000.7.2 月休
 9:30-17:00 入場30分前まで
 一般1500円
 大阪市立美術館
 大阪市天王寺区茶臼山町1-82

 思い立ったら吉日と言うわけで、さっそく美術館なるものへ行ってまいりました。場所は、大阪市立美術館。JR天王寺駅下車すぐのところにある天王寺公園の中にあります。(場所はここを参照のこと)
 JR天王寺駅から少し歩くと、天王寺公園の入り口に着く。入り口でチケットを購入する。大人 1500円である。(学生 1200円、中学生以下 無料)

 公園に入り、内部を抜けて、大阪市立美術館の正面にたどりついた。
 大体の美術館はそうだろうが、写真撮影は禁止されているので、内部の写真はない。
 と言って、終わりと言うわけにもいかないので、私の稚拙な説明で我慢してもらいましょう(笑)

 少しでも雰囲気が伝わればいいかと思います。ほんとのところ、行ってほしいですね。お勧めです。だから、この文章を書いてるんですが(笑)

 まずはじめに、この展覧会のパンフレットを購入した。後にいろいろな知識をつけるために必要だと考えたからである。
 次に、この展覧会のガイドを購入し、荷物をロッカーの中に入れて、準備OK。さっそく部屋に入った。

 あれ? フェルメールって、屏風絵も描いてたんだ・・・ それも戦国時代とか江戸時代とか・・・ って、ちゃうやろ!(笑)
 これは、この美術館所蔵の美術品を展示していると言うことでした。ああ、びっくりした(笑)
気を取り直して、次の部屋へ・・・

 いやに写実的な絵があるなぁ〜 それに、動いている絵も・・・ って、ああ、ここはデルフトの現在の様子を表わしたものか・・・ 運河が凍ったら、スケートもできるのか。あれ、これはバウワーの靴かな?(笑)

 さて、次こそは、と思ったら、今度はちゃんと絵がありました。

 17世紀、デルフト派が活躍していたときの街の様子を描いた絵が展示されていました。

 「1654年10月12日月曜日のデルフト火薬庫爆発事故」(1654年またはそれ以降)エフベルト・リーフェンスゾーン・ファン・デル・プール 
 これは、街中にあった火薬庫の爆発事故を描いたものである。
 彼は、火を描かせたら、ネーデルランド一の画家と言われており、火の表現はすばらしいものがある。
 当時は写真がないから、こういうニュースも絵で残すしかなかったんだろうな。この事故以来、火薬庫は城壁の外へ置かれることになったそうです。

 次の部屋は ・・・

 教会の内部を描いたものが展示されている。当時の教会はもちろんのこと、現在の教会と言うところには入ったことがないので、どのようなところかわからないが、昔の教会と言うところは、埋葬もされていたし、人々が集う場所でもあったと言うことだ。犬が遊んでいたりする絵があり、当時の人々の暮らしがわかるようで面白い。

 さて、次の部屋へ・・・

 次の部屋は、肖像画が飾られている部屋でした。われわれで言う、家族の写真を撮るかわりに、絵を描いてもらったんでしょうね。そう言う絵もありました。

 そして、この部屋で、ついに、ヨハネス・フェルメールの絵を見る事ができました。

 「聖プラクセディス」(1655年) ヨハネス・フェルメール
 聖プラクテセディスと言う女性が斬首された殉教者の血をスポンジに集めて絞って、壷の中に入れている姿を描いています。聖プラクセディスの向こう側に、首を切られた男の人が横たわっています。
 これは、イタリアの画家の作品を模写したもので、彼女の手に原画にない十字架を付け加えているのは、殉教者とキリストの血が混ざることを象徴的に表わしたと言うことです。
 この絵をほめることは、原画をほめることになるんだろうな・・・十字架を除いて(笑)
 顔が優しい感じで好きですね。聖女だからか?
 原画の写真を見ましたが、本当に忠実に模写できています。
 (2016年現在 国立西洋美術館所蔵)

 さて、次の部屋に行きましょう!

 やっと、ヨハネス・フェルメールの部屋にたどりつきました。ここには『彼女』がいるはず(^。^)

 「天秤を持つ女」(1664年頃)ヨハネス・フェルメール
 絵の中の壁に貼られている絵が「最後の審判」で、女性は天秤を持っている。これは天秤で人間の魂が量られることを暗示していると言うことです。女性の前にあるテーブルには、宝石が置いてありますが、これはこの絵を見る人に、中庸を保ち、節度を持った生活を送ることを勧めていると言うことです。
 金属や宝石の光沢がうまく表現されています。

 「リュートを調弦する女」(1664年頃)ヨハネス・フェルメール
 壁に貼られた地図と机の上に置かれた楽器が、彼女が遠く離れた恋人に想いをはせていることを示しているそうです。
 この絵もそうですが、彼の絵には左側に窓があり、光が射しこんでいる絵がいくつかありますね。
 むかしの遠距離恋愛は、大変だったでしょうね。連絡手段も少ないし、移動手段も時間がかかるし。

 「地理学者」(1668-1669年頃)ヨハネス・フェルメール
 これと対をなす作品に「天文学者」と言う絵があります。地理学、天文学とも、大航海時代には欠かせない学問で、それを彼は画題に選びました。地球儀やコンパスを彼は所有しておらず、これらは友人から提供されたものだと考えられており、この絵のモデルもその友人であると考えられています。

 そして、やっとやっと、たどりつきました。このために私はここまで来たのだと言っても過言ではない!

 「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」(1665-1666年頃)ヨハネス・フェルメール

 やっと『彼女』と対面できる! この部屋に入ったときから、気になって気になって仕方なかったです。

 こちらを見つめる瞳に釘付けになりました。背景が真っ黒で何もないので、彼女がこの絵のすべてである。
 たしかにフェルメールの作品は、風俗画家らしく、当時の暮らしや彼からの暗示などが描かれており、それはそれですばらしいものではあるが、この絵の有無を言わせぬ魅力にはかなわない。

 この絵は私の心をとらえ、私をこの場に吸い付けてしまった。しばらくその場に立ち尽くし、瞬きもせず(と言えば嘘になりますが、そういう気持ちで)絵をじっと見つめていました。インターネットや画集で散々見たはずなのに・・・

 やっぱり本物は違う。さらに『彼女』を好きになってしまった。

さて、次の部屋に・・・
 ここは、風俗画を展示した部屋です。この中で気に入ったのは、
 「立ち聞き」(1657年) ニコラース・マース 
 家の女主人が、自分の家のメイドと客が逢い引きしているのを見つけ、階段のところで隠れているところを描いたもの。
 向こうの方に客の男が、メイドに手を回し、話している姿が見える。そして、女主人は「おもろいもん、みっけたっ!」と言わんばかりににやけているのが面白い。

 「医師の訪問」(1660-1665年頃) ヤン・ステーン
 恋煩いに悩む若い女性に対して医者が診察しているところに、彼女が相手の男性からのいい知らせを知って、医者が驚くくらい元気になってしまったところを描いたものです。
 部屋の中には、彼女を元気付けようとして、楽器を奏でている人がいるが、彼女が元気付けられたのは、彼女の足元に落ちている手紙で、その手紙を書いた主が、ドアのところに立っている。
 それにしても、こんなに騒がしいところで、診察するのだろうか?(笑) それに、魚を手にしているおっさんは、何をしているのだろうか。魚で彼女の気を紛らそうとしてるのか?(笑)

 昔もこういう話題には事欠かなかったのでしょうね。面白いです。
 次静物画を展示した部屋です。

 「豪華な食卓」(1653-1655年頃) アブラハム・ファン・ベイエレン
 皮を剥いたざくろやオレンジの光沢がうまく表現されています。彼は困窮した生活をしていたらしいですから、自分の願望を絵に表わしたのだろうか、と想像してしまいます。

 これですべて終わり。後は出るだけ、のはずですが、私は後戻りしました(笑) もちろん『彼女』に会いにです。また、ここでしばらく『彼女』を見つめていました。それにしても、こんなに早く本物に会えるなんて、本当は大阪にいないんだよね。遠いオランダの地にいるんだよね。今年が日蘭交流400周年でよかった。大阪に来てくれてよかった(^o^)
 そして、外に出ようとすると、次の部屋があり、そこにはミュージアムショップ、つまり売店がありました。

 ここでの展示作品のポストカードや、その他にもフェルメールの代表的な作品のポストカード、レターセットや、アドレス帳、カレンダーに、小さなサイズの額絵、キーホルダーに小物入れなどの小物類、様々な書籍、そして複製画の予約、いろいろな商品がありました。

 もちろん、『彼女』の複製画もありました。しかし、35,000円・・・高い(T_T) そこで、私は小さな額絵を買いました。大切にしたいです。

 今回の展示会には合計3回行きました。
 日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代

(2016.4.15過去の私が書いたweb記事より一部加工して転載)
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